今月のウクライナ-92

さて、玄宗が楊貴妃を見初めた時、
彼はすでに 60 に喃々とする歳であった・・・。
で、肝心の楊貴妃は、この時すでに玄宗の息子の嫁であった・・・。

なんじゃそりゃ?

ま、60 にしてリビドーに振り回される方々に対しては
センセの場合はひたすら尊敬の念を抱くだけですが、
息子の嫁を取り上げるというのは、それはいくら皇帝であってもヤバイでしょ?

で、皇帝、彼女を一旦道教の尼僧として息子と離縁した形とし、
改めて後宮の最高位、すなわち貴妃に任命して、寵愛することにした。
その結果、ここに漸くにして、楊・貴妃が誕生することとなりますが、
こんな調子だから誰もかれも皇帝~女帝になりたがるのでしょうね!納得!

で、「ひとみめぐらして一笑すれば百媚ひゃくび生じ  六宮りくきゅう粉黛ふんたい顔色がんしょく無し」
ということで、程なく、「此れり君王早朝せず」の状況となってしまいます。

楊貴妃-1.jpg壁画に描かれた楊貴妃。年代不詳。  ウイキより
一応、普通のイメージとしてはこんなカンジかと・・・。


楊貴妃-2.jpg時代考証を重ねた結果、到達した楊貴妃。
唐の時代はしもぶくれ顔がもてはやされ、また、
楊貴妃自体、相当に肥満していたとのことなので、
個人的には、まず間違いなく、こちらの方が実態に近い、と思ってます。
「この時代に生まれてさえいれば、今頃は・・・。」
と思っている現代女性も多かろう、と思いますが・・・。
中国の三立新聞網のサイトより無断でお借りしました。謝謝!
サイトでは、楊貴と記されてます WWW。さすが漢字の国ですね!
https://tw.news.yahoo.com/%E9%82%84%E5%8E%9F%E6%A5%8A%E8%B2%B4%E5%A6%83100-%E6%A3%89%E8%8A%B1%E7%B3%96%E5%A5%B3%E5%AD%A9%E7%88%86%E7%B4%85-155518469.html?guccounter


で、玄宗皇帝と楊貴妃の痴話話なんぞはどうでもいいので、
話はいきなり「安史の乱」に移ります。

安史の乱の安史は安禄山(あんろくざん)の安と
その相棒の史思明(ししめい)の史を合わせた名前です。
両者ともに突厥とソグド人との混血で、
以前に述べた唐の対外政策である羈縻政策の申し子ともいえる人物です。

安禄山は頭が良いだけでなく非常に愛嬌のある人物であったようで、
当初は西域などから来る商品の仲買人だったらしいのですが、
様々な民族からなる西域の異なる言語を駆使して頭角を現し始め、
機転の利く性格から当時の北京の節度使(せつどし)にも可愛がられ、
自身が節度使になるだけでなく、
程なく現在の北京から遼寧省を含む地域の軍事~行政を任され、
玄宗皇帝の覚えも目出度く、
あっという間に大軍閥の総帥みたいな地位に登る詰めることとなりました。

ここら辺の事情は戦前の満州軍閥、張作霖なんかとよく似ていますね!
節度使に関してはググってくだされ!

で、安禄山、愛嬌のある性格であっただけでなく、
体格も相当に太っていたとのことで、玄宗から
「お前のお腹の中には一体何が詰まっておるのじゃ?」と問われると、安禄山、
「皇帝に対する赤心(まごころ)がいっぱい詰まっております」と答えるなど
あ、こりゃ確かに役者やのお~~~、
チョンワチョンワ~~~!クエッ、クエッ、クエッ~~~!

その後、
詰まっていたのは真っ黒いアブラだったことが判明するのですが・・・。

そんな膝まで垂れ下がるような腹をもった安禄山は楊貴妃にも可愛がられ、
楊貴妃は安禄山に赤ん坊の着物を着せ、
全く想像したくもありませんが、
自分は母親の役を演じて互いに赤ちゃんごっこに興じたり、
これを玄宗は微笑ましく眺めるなどしてしょーもないこと限りナシ!
どうやらここら辺から退廃の色が濃くなってきます。

で、当然、実務を担う宰相からは睨まれることとなり、
安禄山 vs 宰相の構図から、長安には不穏な空気が漂い始めることとなります。


今月のウクライナ-91

ドイツがゴーサインを出した!結構、数も多い!
加えてアメリカもエイブラムスの供与を決定!しかも 30 台以上!

エイブラムス.jpgM1A2 エイブラムス戦車  ウイキより


予想外でした。
センセが考えてたパターンとしては、
アメリカがメンテなどの困難さを理由にしつつもメンツで数台提供し、
これでドイツの尻を叩いて OK させるも数個小隊規模。
ポーランドなど、他国の供与を含めてもせいぜい ン 10 台程度じゃないの?
と思ってましたが、今回の発表だけでも数個大隊の規模になりそうな勢い!
西側、本気度をアップさせてます!

ただし習熟期間があるので本格的運用は今春以降。
エイブラムスなどは新規発注品を納入するようなので、年末か来年とのこと。
なので、春~初夏に行われるであろうと考えられているウクライナ側の大攻勢は
レオパルド2 が主体となると思われます。

ただし、
これらが本当にゲームチェンジャーになるかどうかは、分かりませぬ・・・。
ロシア側は現在、どう感じているのでしょうかね?
予想通りだったのでしょうか、あるいは驚いたのでしょうか?
現在膠着状態の戦線ですが、
ウクライナが攻撃能力の高い戦車を前面に出して攻撃してきた場合、
ロシア側も T-90、あるいは最新鋭の T-14 を投入し、
21 世紀版のクルスク大戦車戦が展開されるのでしょうか?

T-14.jpgT-14/オブイェークト148  ウイキより


いや、そもそもロシアは戦車自体の数がもはや少なくなっているはず。
仮に、今回~それ以降の供与によって、ウクライナ側が
ロシア側の戦車に対して数的~質的に優越する立場になるとしたならば、
ロシアとしては戦車戦を避け、
対戦車壕を幾重にも敷いて堅忍不抜の陣を張る方が利口なのでは?
ウクライナとしては陣地を包囲する動きにでたいでしょうが、
ロシア本土やベラルーシに足を踏み入れることは出来ないので、
押せば押すほど、やはり、膠着状態に陥る、とセンセは思うのですが・・・。

包囲が無理な場合、戦力を集中して一点突破、という方法もありますが、
その場合は貴重な戦車が一か所に集中するわけですから、
ロシアとしては戦術核を使いたくてウズウズする状況となります。

やばいっす!

あるいはまた、
実戦で使えるようになる前に大攻勢に出る
ということも考えられます。
でも、そもそも今現在ロシアは攻勢に出ているわけでして、
そんでようやくバフムト近郊の小さな集落を陥落させて
大喜びしている最中でして、
メドヴェージェフが軍需工場にいくらはっぱをかけても
高性能なものはナカナカ出てこないでしょうし、
そろそろロシアの刑務所もガラガラになりつつあるとの話もありますし、
チェチェンの大将はヒゲを剃る剃らないでケンカしてますし、
ゲラシモフはどう贔屓目に見てもお笑い芸人にしか見えませんし、
大攻勢に出る出る言ってますけど、
やっぱりバンザイしながら突っ込んで来るのかな?
「ウラ~!ウラ~!」言いながら・・・

センセとしては、
♪ ウララ~、ウララ~、ウラウララ~!」の方が良いのですけど・・・。※


※この歌、ジェンダー的にはどうなんすか?千鶴子センセ???



今月のウクライナ-90

712 年、うんざりするよな宮廷内のゴミ掃除を終え、
晴れて皇帝となった若き玄宗(則天武后の孫にあたります)は、
開元の治(かいげんのち)と後に呼ばれる立派な政治を行います。
彼を補佐する有能な宰相たちにも恵まれ、内政~外政ともに充実。
名実ともに「世界に冠たる唐」の時代を迎えることとなりました。

玄宗皇帝.jpg玄宗皇帝の像  ウイキより
期待と実物が異なることは、よくあることです・・・。  


唐以前からも、対異民族政策として
いわゆる羈縻政策(きびせいさく)がしばしば行われておりましたが、
太宗の時代に西域拡大のために置かれた安西都護府でもこれが採用され、
西域諸国の軍を各個に撃破し、服従させたのちは
彼らの王を唐の長官として任命して国や地域を治めさせるという、
ある意味「懐の深い」政策です。

羈縻の羈は馬を制御する用具、縻は牛の鼻綱、とのことです。

657 年には西突厥も唐の羈縻下に入った結果、
突厥帝国は実質的に滅んでしまうこととなります。
さらに西に拡大した唐はササン朝ペルシャと接する形となり、
ここに中国史上最大の版図が現出することとなりました。

唐の最大版図.jpg唐の威風が及んだ地域  ウイキより
右端に当時の日本が描かれておりますが、
蝦夷地は毛人、九州は隼人と熊襲が記されており、
ナカナカ正確な図ですね。

その後、ササン朝はイスラム・アラブによって滅ぼされますが、
勢力拡張を狙うアッバース朝と唐の軍は天山山脈西北麓のタラス河で衝突!
唐軍の一翼を担っていたトルコ系のカルルク族がイスラムに寝返ったため、
唐軍は大敗を喫してしまいます。
この時に捕虜となった中国兵の中に製紙業に携わるものが居たため、
ここから紙が西方に伝わることとなりました。

西方世界と直結するようになった唐にはソグド商人やペルシャ商人、
さらにはインド洋を渡って多くのアラブ商人が広州に到達し、
エキゾチックな商品は隋の煬帝が築いた大運河を通って長安まで達し、
花の都、長安は、世界第一の都市として、栄華を極めることとなりました。

文化的には李白、杜甫、白楽天などの有名詩人を輩出し、
唐三彩、青磁、白磁などの焼き物も大変有名です。
センセも彼らの詩が好きで、
中学時代は暗記して、よく諳んじていたものです。今でも結構覚えてます。

で、好事魔多し!

さしも栄華を誇った玄宗皇帝下の開元の治ではありましたが、

漢皇色を重んじて傾国けいこくを思ふ ぎょ多年求むれども得ず

の状況となってまいります!




今月のウクライナ-89

先日、エストニアの首都、タリンで、
欧州 11 カ国の国防相が集まってウクライナ支援の協議を行いましたが、
本日の時点では、レオパルド戦車のウクライナへの供与に関して
ドイツは未だゴーサインを出していません。何とも煮え切らない態度です。
一方で、イギリスはチャレンジャー戦車の供与を決定しました。
アメリカとフランスは少なからずの数の
装甲兵員輸送車(APC:Armored Personnel Carrier)の供与を決定しましたが、
これらは本格的な戦車ではありません。
で、ウクライナは 3 月攻勢を計画しているとのうわさですが、
仮にレオパルドが投入されても数的には少数だと思いますので、
どれだけの効果があるのか、個人的には疑問視してます。
ゼレンスキーも「これではタリン!」と言ってます。
何と言ってもロシアは通常弾と肉弾には事欠きませんので・・・。

レオパルド2.jpgレオパルド2  ウイキより
鉄十字は戦犯旗ニダ!
と言われる御仁は数少ないようでして・・・。


さて、隋の昔より何度も苦杯をなめさせられてきた難敵、
高句麗を撃ち滅ぼすことに成功した高宗ですが、
彼の後宮として入ったのが武照武昭儀(ぶしょう、ぶしょうぎ)。
後の則天武后(そくてんぶこう)です。
最近では武則天(ぶそくてん)と呼ぶのが普通みたいですが、
センセらの世代は則天武后と習いました。どっちでもよいです。

で、野心、色気に加えて実力もたっぷりの女性だったようで、
後宮の一人から皇后となり、もとの本妻をむごたらしく殺害するだけでなく、
高宗を尻に敷いて政治の実権を奪い、
高宗の死後は自ら皇帝の座を簒奪し、国名を「周」と改めてしまいます。
中国史上唯一の女帝です。

武后.jpg武后、あるいは武則天、あるいは則天武后の像  ウイキより
唐の時代はしもぶくれ顔が美人だった、とのことです。
この時代に生まれてさえいれば天下も取れたのに・・・
と思う現代女性も少なからずいることでしょう・・・・・・ホントか?


で、薛懐義(せつかいぎ)と名乗る怪僧を寵愛して
へんちくりんな政治を行ったりしますが、
孝謙天皇と道鏡とか、
ロマノフのアレクサンドラ皇后とラスプーチンとか、
必ずこんなのが出てきますね。

道鏡と孝謙天皇に関しては、江戸時代、
「道鏡に  崩御崩御と  詔(みことのり)」
との傑作千万な川柳も生まれました!
野暮な解説は無用かと・・・。

現代の SNS 上の無粋な炎上とは異なり、江戸の庶民、さすがです!!!

で、705 年、83 歳の老婆となった武后は病の床に伏せますが、
この機会に乗じて実子である中宗は武一族を一掃し、
返す刀で母親の武后に譲位を迫り、
ここに再び唐の国が復活します。よかったですね!
ところがその後も何かと
女禍が続き、色々あるのですが、
バカバカしいので割愛します。

で、そのドタバタ劇の後、西暦 712 年にようやく立ったのが、
28 歳の若き皇帝、玄宗(げんそう)です。

今月のお悔やみ - 追加

デヴィッド・クロスビーが死んだ。
以前のブログ、「
昭和 40 年代:時代と音楽-29」の中で
サイケデリックサウンドについて書きましたが、
ザ・バーズの「霧の 8 マイル」をご紹介しました。
若いころのクロスビーが熱演している姿が印象的です。

センセの世代でクロスビーと言えば
クロスビー、スティルス、ナッシュ & ヤングとなります。
で、クロスビー、スティルス、ナッシュ & ヤングと言えば
アルバム「déjà vu:デジャヴ」!
前面右で銃を抱えているのがクロスビー。
A 面の最後が「Woodstock」ですが、全面、これ名曲です。
久しぶりに聴いたが、懐かしいこと限りがない。

それにしても、
次から次へと往年のロックシーンを彩った連中が死んでゆく・・・。
次は誰なのか・・・寂しいこと限りがない・・・。
お悔やみの連チャンだけはカンベンして欲しかったが、
やはり、言わなくてはならない・・・。

お悔やみを申し上げます。

今月のお悔やみ

ここ最近も色々ありましたが、ジェフ・ベックが死にました。
ジェフベックに関しては、
以前のブログ「昭和 40 年代:時代と音楽-32」の中でちょろっと書いてますので
行き掛けの駄賃で読んでみてください。
ジミー・ペイジやエリック・クラプトンと並んで当代きってのギタリスト、
と言われてきました。
でも、彼の曲は?と聞かれてセンセの場合、すぐに出てこない・・・。

と言うか、センセの場合、ジェフ・ベックは聴かない。

ジミー・ペイジと言えば「Stairway to Heaven」、
クラプトンと言えば「Layla」とすぐに出てくるが、
ジェフは分からん・・・。

「天国への階段」も「レイラ」も名曲であるのは間違いなく、
聴けば「ああ、懐かしいな!」とは思うのですが、
実のところ、これらはセンセの世界ではない。

センセの世界はこういうカンジ。
Purple Haze:ジミヘン」、
BALL and CHAIN:ジャニス・ジョプリン
Dance Sister Dance:サンタナ

何が違うのでしょうかね?
やっぱし、「黒さ」だと思います。
ハードな曲を聴き続けると翌日にこたえるようになったセンセは、
従いまして、
最近では Youtube で Acid~Funky 系のジャズをよく聞いてます。
ヘタウマ系の Gif 絵を背景とした色んな種類のがありますが、
どれもこれも好きです。

基本、傾向として、大脳皮質を通さずに、
直接脳幹に訴えかけるものが好きです。
単にセンセの大脳皮質のキャパが足りないためかも知れませぬが・・・。

例えばこんなカンジ。
こんなのもあります。
エスニック系は結構好きです。

それでもたまには五嶋みどりの「バイオリン協奏曲:チャイコフスキー」
なんぞを聴くときもあるのですが・・・。

あるいは「冬の星座:小学校唱歌」とか・・・。

さらには「四つ竹:琉球舞踊」、「小浜節:八重山民謡」とか・・・。

きりがないのでもうリンクしませんが、軍歌なんぞもよく聴きます。
特に昔、リーマンがひっくり返って大騒ぎだったころは
ン・・・万円にものぼる含み損を抱えながら「抜刀隊」をよく聴いてました。
堅忍不抜の根性が養われます!
あ、抜刀隊じゃなくて FX のことですけど・・・。
リンクしてしまいましたが・・・。

ま、人間、一筋縄ではナカナカ・・・ということなんでしょうけどね・・・。

ジェフの他にも、
ポインターシスターズとアースウインドアンドファイヤーのメンバーも
亡くなられました。

お悔やみを申し上げます。



・・・あ、YMO のドラマーの彼も死んでたのを忘れてた!
センセの世界とは 3 億光年くらい違うので、うっかりしてた・・・。

お悔やみの追加を申し上げます。


今月のウクライナ-88

618 年李淵(高祖)によって建国相成ったですが、
中国史の中でも最も華やかな時代が唐、
と、少なくとも日本人の間では、捉えられているかと思います。
センセもそうです。
律令制度、科挙による実力主義の官僚制度、花開く長安の都、
西域からのエキゾチックな文化の影響、李白や杜甫、白楽天などの詩人、
楊貴妃と玄宗皇帝のロマンス物語、宦官勢力の暗躍などなどなど、
どれもこれも日本人にもおなじみのものばかり。
未だ日本人の間では、弁髪やキョンシー、チャイナドレスなど、
直近のの時代の中国文化が中国人像に影響しているきらいもあり、
また、先の戦争や現在進行形の緊張関係なども影響して
必ずしも現行の両国関係は友好的と呼べるものではありませんが、
センセを含めて「中国史が好きだ!」という方々も数多く、
始めに述べたように、
最も中国らしい時代が唐の時代、との主張にも、
大きな違和感はないかと思います。

李淵.jpg高祖、李淵の像  ウイキより
明らかに隋の煬帝以前の像とは異なる出で立ちです。
もはや頭にすだれは乗せません。
靴はブーツ様で、胡服の影響が明らかですね!


で、高祖の李氏ですが、
鮮卑拓跋系そのもの、あるいは鮮卑化した漢族、と考えられてます。
本人たちは「我々の先祖は老子である」などと言ってますが、
何らかのコンプレックスを持っていたんでしょうね。
唐の時代は仏教と共に道教が盛んだったので
道士の祖である老子を先祖として選んだのでしょうけど、
唐という大国の祖の先祖として老子を選ぶのは
道士ても違和感がありますよね・・・。

で、鮮卑系であったためかどうかは分かりませぬが、
李氏一族、突厥などの戦闘的遊牧民の扱いに長けていたようで、
隋を滅ぼす際も東突厥とあらかじめナシを付けていたようですし、
その後も硬軟織り交ぜて上手く操縦し、
結果、「良く分かった、アンタが一番!」ということで、
東突厥からは天可汗(てんかがん:王の中の王)の尊称を送られ、
これを服従させることに成功します。

高祖の次男が李世民(りせいみん)、すなわち太宗(たいそう)です。
これがたいそうなオトコで、
貞観の治(じょうがんのち)と呼ばれる理想政治を行った人物として有名です。

李世民.jpg李世民、太宗の像  ウイキより
昔の皇帝よりもこっちの方がカッコイイですね!


彼もまた隋の煬帝と同じく長兄を殺害して王位を奪ったオトコですが、
隋末から唐初期にかけて頻発した各地の戦乱を鎮め、
混乱に乗じて長安に侵攻してきた突厥に対して一芝居を打って平伏させ、
さらには西域にも進出して
安西都護府(あんざいとごふ)と呼ばれる行政府を設置して
唐の威を拡大させただけでなく、
内政においては側近の意見を尊重し、活発に議論を行って、
民意の安定、経済の発展に大きく努めました。
このような側近たちとの意見交換を記したものが
「貞観政要」と呼ばれる書物にまとめられ、
徳川家康など、日本の武家政治家の参考書ともなったと言われてます。

対外的にも武力一辺倒というわけではなかったようで、
力を付けつつあった吐蕃(チベット)に対しては
吐蕃王のソンツェン・ガンポに対して
文成公主(ぶんせいこうしゅ)を降嫁(こうか)させて姻戚関係を結ぶなど、
対外関係の安定化に努めた結果、
おりからのイスラム勢力の伸長やソグド商人の活躍などとも相まって、
シルクロードを介した東西貿易によって
ここに、「花の都、長安」が現出するに至ります!

645 年、有名な三蔵法師と孫悟空の物語である「西遊記」の元となった
玄奘(げんじょう)三蔵の「西域記」が大ヒットとなったのも、
この時代ならではの現象であると思います。

三蔵法師.jpg三蔵法師の図  ウイキより
夏目雅子風をイメージされてたヒトにはちょと残念!
これが現実です。


太宗を継いだ高宗の時代では
隋の時代からの天敵とも言うべき朝鮮半島の高句麗を打つべく
新羅と手を結んでこれを滅ぼすことに成功しますが、
勢いに乗った新羅は半島の制圧に乗り出して天敵の百済と衝突。
百済を救援すべく、大和朝廷においては、
後の天智天皇、すなわち中大兄皇子が兵を送りますが、663 年
白村江(はくすきのえ)の海上戦において唐軍に完膚なきまでに敗れ、
とっとと尻尾を巻いて退却!
九州から瀬戸内海の海岸線に山城を築いて唐の逆攻に備えたのは有名です。

白村江の戦.jpg白村江の戦の状況  ウイキより
ここでの負け戦により、
大和朝廷は半島から完全に手を引くこととなります。
一方、百済の帰化人と共に多くの唐文化も流入する結果となりました。


このようにアジアの東西にかけて大いに威を振るった大唐国ですが、
その後、しばし、女禍の嵐に晒されることとなります。



今月のウクライナ-87

さて、「今月のウクライナ-59」でお話した五胡十六国ですが、
ようやくにしてこの時代の大混乱を収めたのが、(ずい)です。
突厥は隋~唐のいずれとも関係しますので、
まずは隋について簡単にお話し、その後に唐のお話しをします。

北魏王朝を打ち立てた戦闘的遊牧民の鮮卑族ですが、
北魏は後に東魏西魏に分かれ、
さらにそれぞれ北斉北周に名を変え、互いをライバルとし、
争うこととなります。
その後、北周には武帝が起ちますが、これがナカナカのオトコで、
中国王朝史には珍しく、質実剛健を旨とし、富国強兵にあい務めた結果、
577 年、北斉を撃つことに成功します。

この時功績のあった北周の武将の一人が楊堅(ようけん)というオトコで、
武帝以後の北周を実質的に支配し、北周最後の皇帝から禅譲を受け、
581 年、ここにを打ち立てます。おくり名は文帝
もちろん前王朝関係者は皆殺しとなりますが・・・。

隋.jpg煬帝の頃の隋の版図  ウイキより
大興城長安、東都洛陽と考えて OK です。


けれども文帝の治世はナカナカ優れたものであったようで、
我々日本人が知っている中国文化の基礎は彼から始まったものも多く、
例えば、唐の時代に世界第一の都となる長安(新長安)も彼が造ったものですし、
家柄による官吏登用を排した、いわゆる科挙(かきょ)制度を採用したのも
彼が初めてです。
さらには北魏時代に行われた均田制(きんでんせい)を採用して
民心の安定~富国強兵に努めた結果、文帝の隋は、
同時期の南朝最後の国家、を圧倒する強大な国家となりました。

で、南朝の貴族文化にどっぷりと浸っていた江南の陳王朝ですが、
588 年、満を持した隋軍の大攻勢になすすべもなく敗退し、
589 年、ここに久方ぶりに中国の統一がなされることとなります。
この時の大攻勢を指揮したのが文帝の次男で、後の煬帝(ようだい)です。

因みに、隋を建国した楊家の出自に関しては色々言われてますが、
母方が鮮卑系、父方は漢族、という説が多いようです。
父方も鮮卑だ、という説もあります。
これは唐を建国した李淵(りえん)についても同じです。
このため、北魏から唐に至る王朝を鮮卑の部族に因んで
拓跋(たくばつ)系王朝~拓跋国家」とする教科書もあるとのことです。※
※以上はウイキより

さて、質素剛健を旨とする文帝。
これに加えて
奥方の独孤(どくこ)皇后もまた色恋には厳格であったようで、
そんな二人に育てられた次男坊は
両親の前では模範的なムスコとして振る舞っていたようですが、
実はクセモノで、
長男を差し置いて皇帝になるためにあらゆる策を弄(ろう)し、
最終的には兄を殺害して皇帝の座を射止めることに成功します。
ここに、604 年、中国歴代皇帝の中でも 1 ~ 2 を争う悪帝と呼ばれる
煬帝が誕生することとなりました。

煬帝.jpg煬帝の図  ウイキより
フランクの王がどれもこれも似たようなのと同じように、
中国の皇帝も、ここまでは似たようなカンジです。
例のすだれは無くなってますね!
次の唐からイメージがちょいと変わってきます。


煬帝は、まずは洛陽の東に洛陽城と呼ばれる都の建設に着手します。
煬帝と言えば大規模な運河工事で有名ですが、
洛陽城の建設に続いて中原と江南を結ぶ大運河の建設に乗り出します。
しかも大運河は一つだけでなく、いくつも作るわけですが、
それぞれに 100 万とも言われる数多くの人夫を調達した結果、
工事による死者数もさることながら、耕す者が居なくなった農地は荒れ、
文帝夫婦が苦労して築き上げた国家財政も破綻。
さらに北方の突厥に対する長城構築にも励んだ結果、
人民の怨嗟はいや増すばかり。
周辺諸国にも外征を繰り返し、南は台湾からベトナム、
西は西域諸国に威を伸長し、煬帝、ここに得意の絶頂!
加えて人妻であろうが未成年であろうがお構いなしに数多くの美女を調達し、
盛大なる各種宴会を日夜繰り広げるというおなじみの転落パターン!
調子に乗った煬帝、最後には高句麗に三度も侵攻しますが、
その都度完膚なきまでの敗北を喫します。

程なく国内各地で反乱軍が沸き起こり、これにおびえた煬帝は、
長安や洛陽を放擲して江南の都に逃げてしまいますが、
ここでも彼は現地の美女を侍らして宴の日々を送ります。
酒と美女でひたすらに不安を紛らわせていた、
ということなのでしょうけど・・・。
で、最終的には自身の側近によって
12 歳の息子ともども殺害されてしまいます。この時煬帝 39 歳。

煬帝の殺害によって実質的に隋は滅亡するわけですが、
形式的には長安に居た隋の将軍、李淵(りえん)がこの機に乗じ、
まずは煬帝の孫を隋朝最後の皇帝に仕立て上げ、
その後すぐに禅譲させるというおなじみの茶番劇を行って、
最終的に唐朝が建つこととなりました。618 年のことです。



今月のウクライナ-86

みなさま、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

昨年の 12 月には列島各地に寒波が押し寄せて
ひどく寒い年末を過ごしましたが、
お正月の三が日は雲一つない快晴が広がり、
少なくとも太平洋側では、穏やかで暖かいお正月となりました。

センセは元旦は埼玉の姉の家で過ごすのが恒例ですが、
身内も一人去り二人去り、
年を追うごとに寂しくなっていくのはヒトの常とはいえ、
新たに病に伏す兄弟姉妹もおり、
自らの行方について考える機会が増えるのもこの頃です。

で、早くも二日には帰って来ましたが、
お昼にお雑煮を作って食べてる最中に気が付いた・・・。

!!! 姉の家に入れ歯を忘れてきた !!!

・・・ま、センセの入れ歯は一本だけですので実用とは程遠く、
たいして大騒ぎするほどのことではありませんが、
その昔に年寄りが入れ歯をし忘れたままレストランに入ったとかナントか、
そんな話を聞いて
爆笑していたのが爆笑される立場になってしまったのが何とも言えず・・・。

で、気づいた時点で早速電話して送ってもらうように伝えましたが、
電話の先で先方の家族が大笑いしているのは良いとして、
自分のものでしたらいざ知らず、
ヒトの入れ歯を封筒に入れて送る際のせつなさ、やるせなさというか、
それを考えると、
申し訳ない気持ちでいっぱいになるのも人の情ではありませう・・・。


さて、ウクライナですが、
「厳冬期になったら戦車戦を含む大攻勢がある」との予想がありましたが、
そんなそぶりは微塵もなく、
両者デッドロックに陥っているのが現状です。
東部のバフムトではウクライナが苦戦しているとの情報も、
あるいはロシアが苦戦しているとの情報もある一方で、
ハイマースの攻撃で新兵を含む 100 名近くのロシア兵が一気に吹き飛ばされた、
との新しい情報もあり、どちらが優位なのか、皆目分かりません。
ロシアからのロケットやドローンによるインフラ攻撃は相変わらずですし、
ロシア経済が疲弊しつつあるとの情報もある一方で
抜け穴だらけでピンピンしているとの情報もあり、
これまた確実ではありません。

幸いなことに、欧州のこの冬は例年になく温暖で、
アルプスのスキー場の多くが営業できない状況にあるとのこと。
まだ冬は長いですが、
このまま暖冬が続いてくれればロシア産ガスへの依存度も減り、
電気や暖房が制限された中で暮らしているウクライナの人々にとっても、
少しでも生活の辛さが和らいでくれれば・・・と思います。

それにしても来年もまたこの調子で戦争が継続するとなると
すでにダメージを受けている世界経済への影響もまた継続する訳ですから、
さすがにどこかの時点で停戦交渉への圧力が増してくることは確かです。

で、
ロシアが戦術核を含む核兵器を使わなければ NATO は介入しないでしょうし、
また、その場合はアメリカも射程の長い兵器の提供はしないでしょうから、
第一次世界大戦ばりの陣取り合戦となる可能性があります。

特に東部では!

そうなりますと、ウクライナが東に戦線を拡大すればするほど
これまで弱点とされてきたロシアの兵站線は短くなりますので、
ロシア有利となり、
どこかの時点でウクライナは抜くことができないラインに至ると思います。

たぶん、この時点においてもウクライナの世論、
ならびにゼレンスキー大統領は戦争の継続を主張すると思いますが、
この時点においては西側世界から停戦交渉への発言が相次ぐのでは?
と考えてます。

で、結局、「今月のウクライナ-10」で指摘したように、
現実問題として、
ウクライナは、ある程度、東部地域、あるいはクリミアを、
放棄せざるを得ない形にならざるを得ない、と考えます。

良い悪い、の問題じゃないです。
現実問題~物理的問題としてそうとしか考えられない、ということです。

放棄した東部諸地域~クリミアは、
ロシア側に言わせれば「ロシアに帰属する」ということでしょうが、
もちろん国際的には承認されません。
同時に、ウクライナは、残念ながら、NATO に加わることもできないでしょう。

しかしながら、「今月のウクライナ-10」で指摘したように、
将来的には、あるいは少なくともプーチンが居る限りは、
ロシアはもはや「イランや北朝鮮に毛が生えただけの国家
となるのが宿命づけられているわけですから、
ウクライナは胸を張って「我らは勝利した!」と宣言して可、だと思います。

国際連合は今後さらに混迷の度を深めるのか、あるいは、
これに代わる新たな組織づくりへの言及が生じるのか、あるいは、
取り合えずプーチン政権が倒れたあとのロシアがどうなるのか、
それを看取ったうえで動き出すのか、
見どころ聴きどころ満載の、今後の国際情勢です。



今月のウクライナ-85

さて、突厥です。
突厥は日本語読みではとっけつ、あるいはとっくつですが、
当時の中国音ではチュルクに近く、
要するに、現代日本人が言うところのトルコそのまま、ということらしいです。
突厥の前にも
鉄勒(てつろく)とか丁零(ていれい)とか呼ばれた連中が居ますが、
みなトルコです。音も同じようなものですね。

トルコ人と言えば、今ではイスタンブール辺りで結構幅を利かしてますし、
そこの大統領に至っては
「ウクライナとロシアを仲裁できるのは、このワシだけじゃ」
みたいな顔してますが、
昔は南シベリア~北モンゴル~アルタイ周辺で羊を飼う生活を送ってました。
連中、遊牧だけでなく鉄の鍛造技術に長けていたようで、
おかげで柔然が勢威を誇っていた頃は彼らの「鉄製品製造専門部族」として
顎でこき使われる惨めな生活を送っていたようです。

で、この時代の戦闘的遊牧民国家はみんなそうですが、
強大になって周辺部族を制圧するようになると
これらの部族をほとんど奴隷扱いし、過酷な税を徴収し、
戦闘では戦士として徴用するなど、
「力」による圧制を行うのが常でした。

で、当然反感を買うこととなります。

力が強大であるうちは抑え込むことも出来ますが、
何らかの原因で勢力が衰え始めると、
たちまち一斉に反逆の嵐が巻き起こります。
毎回毎回同じパターンです。学習することを知りません。
もちろん、戦闘的遊牧民だけのお話ではありませんが・・・。

で、5 世紀後半ころには、
トルコ系の高車(トカラ系との説もあり〼)などの部族が反旗を翻した結果、
柔然は彼らに対する締め付けをある程度緩和するようになります。
結果、鍛鉄製造係の突厥は、これまで柔然に収めていた鉄製品などを
中国の西魏などに持ち込むようになり、貿易などで力を付け始めます。

で、その後、土門(ブミン)という名のオトコが柔然の軍と戦って大勝し、
土門は名を伊利可汗(いり・かがん)と改め、
ここに突厥可汗国を打ち立てることとなりました。552 年のことです。

その後、木汗(ムカン)というオトコが可汗となり、
弱体化した柔然にさらにダメを押した結果、
柔然の残党は北斉(東魏の後継国家)に逃亡。
木汗可汗はさらに西ではエフタルを、
東では満州に興った契丹(きったん)を破り、
北では契骨(キルギス)を併合するなど、諸部族を次々と征服!
これにより突厥の版図は満州からアラル海に至り、
ほぼほぼ柔然を踏襲する大国となりました。

結果、柔然は追われて欧州に雪崩れ込むことになったのは、
以前にお話した通りです。

突厥-1.jpg6 世紀の突厥可汗国。  「世界史の窓」様より無断でお借りしました。
https://www.y-history.net/appendix/wh0302-076.html
有難うございました。