坂城散歩道-7

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みなさまこんにちは!ご機嫌いかがでしょうか?
ここにきて日本列島は寒波に見舞われてます。先日の京都の女子駅伝でも、選手の皆さん、雪の舞う中、たいそうがんばっておりました。
で、TVを見てるうちに「オレもがんばるぞ!」とばかりに、雪の降る中、いつもバイクで走ってる裏山の林道をお散歩することにしました。酔狂ですね!

雪の坂城町 170114.jpg

第一研究所からの南方面の眺めはこんなカンジ。雪はそんなに深くない。
で、ポクポク北に向かって歩き始めました。
装備は長靴、化繊の綿入れみたいなズボン(これが暖かい!)、本物の米軍払い下げのアラスカコート(むっか~しアメ横で買った)と重装備!いつなんどき遭難しても大丈夫だ!

で、ほどなく長野自動車道の坂城インターへ到着。そこから横に入って、水晶山登山道へと向かう林道、水晶線入り口に到達した。
写真で見るとおり、誰の足跡も無い!センセが一番乗りだ!ヤッホー!!!


雪の水晶線 170114.jpg

先日歩いたときは、カモシカの足跡がついていたけど、今日はホントに何の跡も無い。ひたすらセンセの足跡をきざむのみ!



人生の軌跡 170114.jpg

で、きざんでみました。
おっと~、後ろを振り返っちゃあいけない!前を向くんだ!前を向いて、ひたすら進むのだ!GO! GO! センセ!行け行け センセ!


川止め 170114.jpg

右側は小さな渓流。御堂川の上流部。でも、小さすぎて流れはいつもチョロチョロ。魚影も無い。ところどころに魚止め(砂防堤)がある。

ここまでずうっと登りの道だが、そんなに急じゃない。足慣らしには適度な勾配だ。でも、さらにどんどこ進むと、比較的急な坂道となる。左に右に折れ曲がり、S字状のところもあるので、センセのバイクの練習場ともなっている。

登坂開始 170114.jpg

ここが上り坂の入り口。さすがにこの雪道を水晶山の登り口まで行く気はないので、ここから引き返しました。

あ~良い運動だった!往復でたった4~5km だったけれども、軽い登りの雪道の散歩、スキーよりもよっぽど運動になるね!これでカモシカ君と遭遇できればもっと楽しくなると思うけど。この林道では、以前にいきなり出会ってにらめっこしたことがある。カモシカだったから良かったけど、熊もおるでな・・・。

以下、本日のルートです。そのうち林道奥までバイクで行って、その後は水晶山まで登山しようと考えてます。ではまた!

水晶線まで 170114.jpg

昭和40年代:時代と音楽-38

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ここ数日、坂城は本当に寒い日が続いてます。今朝も最低気温が零下7℃。このような厳寒の日々がこれから2月半ばまで続くわけですが、このような中、さすがにバイクに乗る気力はありませぬ・・・。また、この時分は少し山の方に入ると至る所で凍結した路面に遭遇しますので、バイクに乗るべきではありません。どうしますかね?やっぱ、スキーだね!10数年ぶりに、近場の菅平にでも行ってくるかな?

と、連休初日に考えたセンセですが、二日目には早くも挫けることとなりました・・・。だって、昼から雪が降るって天気予報で言ってるし・・・。スキーだから雪が降って当たり前?いやスキーもやはり、快晴の中でやりたいよね!(明らかに出不精の言い訳です・・・。)

さて、長々と続いてきた「昭和40年代:時代と音楽」シリーズ、そろそろ締めくくりの時も近づいてきました。ざっとまとめてみますね!

センセが小学校4年生の昭和39年=1964年に東京オリンピックがありまして、翌年の昭和40年に世田谷区から足立区に移りました。当時の足立区はまだまだ田舎で、見渡す限り田んぼだらけの世界でした。世界の音楽シーンではビートルズとローリングストーンズに代表されるリバプールサウンドが席巻していた一方で、日本ではベンチャーズや加山雄三、平凡パンチやアイビーファッションが流行しておりました。世界情勢としては、米国の北ベトナムに対する北爆開始や、黒人過激派指導者のマルコムXの暗殺事件などがこの頃です。日本国内は佐藤栄作首相の長期政権下にあり、朝永振一郎博士がノーベル賞を取ったのが、この年です。

昭和41年=1966年=小学6年生時にビートルズが来日。GSと呼ばれたグループサウンズが登場し始めたのが、この頃です。ファッションも、アイビーカットからマッシュルームカットに移行。ミリタリーファッションなんてものも、流行りだしました。中国で文化大革命が始まった年でもあります。

昭和42年からの3年間=1967~69年=センセの中学時代ですが、ビートルズは公演を停止し、実験的音楽を量産し始めた時代です。リバプールサウンドに代わり、サイケデリックサウンドやジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンなどのよりハードなロックが史上最大の盛り上がりを見せ、1969年のウッドストックに結実した時代です。マッシュルームカットから長髪、ヒゲ、バンダナ、パンタロンやミニスカートなど、若者文化はレインボーカラーのサイケデリックなものが花盛り。フラワームーブメントがピークを迎え、ヒッピーやフーテン、アングラ文化が登場した時代です。国際的には米国がベトナムで枯葉作戦を開始、ソンミ村事件、プラハの春、キング牧師暗殺、ロバート・ケネディ暗殺、パリ五月革命勃発、いよいよ過激さを増す中国文化大革命、ニクソン政権誕生、アポロ11号の人類初の月面着陸など。国内的には、美濃部都知事就任、激しさを増す学生運動、川端康成氏ノーベル賞受賞、東大紛争~安田講堂占拠事件、府中の三億円事件、金嬉老事件など。TV「ゲバゲバ90分」のハナ肇、「アッと驚く為五郎~!」は、日本中を席巻した一大流行語となりました。

センセの高校時代の昭和45年から47年=1970~1972年、ビートルズは解散し、各メンバー毎に活動する時代に。特にジョン・レノンの「Mother」や「Imagine」は、その後の彼の「平和の伝道師」的なイメージを高めました。ただし実際の彼はそのようなイメージとはかけ離れ、内面的には大きく苦しんだ時代であったようです。ロックシーンにおいては、レッド・ツエッペリンやディープ・パープルなどのハードロックの全盛期。一方でCCRやサンタナ、ロッド・スチュアートなどがヒットを飛ばした時代でした。Grand Sweat Revivalが自由が丘でデビューした時代でもあります(同時解散)。R&Bはソウルミュージックとなり、ジャクソン5やカーペンターズが大活躍し始めた時代です。世界情勢は、ベトナム戦争や文化大革命は相変わらず、中華人民共和国の国連復帰~台湾の脱退、ニクソン大統領の突然の中国訪問~その後のウオーターゲート事件など。国内的には、三島由紀夫の切腹事件、大阪万博開催、よど号ハイジャック事件、ドルショックによる円の変動相場制への移行、浅間山荘事件、横井軍曹グアム島で発見、沖縄返還、田中角栄内閣の誕生、といったところでしょうか。松平監督率いる男子バレーチームがベルリンオリンピックで金メダルの快挙を達成したのが、この当時です。公害問題が一世を風靡し、光化学スモッグがしばしば発生。東京から富士山は見えないのが当たり前であった時代でした。

以降はソウルのダンスミュージックやフィラデルフィアサウンドなどの全盛期となり、ウッドストック時代の典型的なロックサウンドは影が薄くなっていきます。そして1976年、イーグルスの「Hotel California」によって、60年代ロックは自ら終止符をうつこととなりました(と、解釈されています)。1973年にはブルース・リーの「燃えよ!ドラゴン」が登場!海外文化=欧米文化一点張りであった時代に、アジアから風穴が開いた瞬間でした。
1975年、南ベトナム政府の首都であったサイゴンが陥落。ここにベトナム戦争は本質的に終了します。1976年の毛沢東の死去後、いわゆる「四人組」が逮捕され、ここに文化大革命も終了を迎えます。現在、GDP換算で世界第二位の大国となった中国が、強大国たるべく離陸を開始した瞬間です。国内では1973年に第一次オイルショックが発生し、時代の雰囲気は、「政治の時代から経済の時代」へと変貌を遂げていきます。国内の学生運動は組織間での血みどろな「内ゲバ」に変質し、国民の支持を完全に失ってゆくこととなります。

そして1980年12月8日、ジョン・レノンは、アメリカNYにおいて、狂信的なファンによって、拳銃にて殺害されます。齢40でした。ここに60年代のあの狂騒が、完全に幕を閉じることとなりました。合掌・・・。



そしてボブ・ディラン。今年で76歳。もち、ノーベル賞。長生きしそうだね、ボブ?聞いてる?





昭和40年代:時代と音楽-37

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高二の文化祭を無事に終えたGrand Sweat Revival でしたが、その後も活動を続けました。神宮外苑で開かれた素人バンドのコンサートに下級生の連中が参加したのに刺激され、我々も一般市民が聴きに来るようなところに出演すべく、さらに腕を磨き続けました。

この頃、バンドメンバーの変更がありました。「目指すべき音の追求でメンバー間で対立が生じ」、なんてカッチョイイもんじゃありません。単に「飽きたから?」くらいの理由でベースの++君がやめ、代わりに¥¥君が加入しました。さらに「オルガンが欲しいね!」なんて生意気言って、¥¥君の知り合いの女の子が加わりました。

この頃になるとセンセもある程度は上手くなり、簡単なリードギターなら演奏できるようになってました。また、文化祭終了後は学校で練習を行うことが困難になり、西荻窪にあるドラムの$$君の家や、永福町の女の子の家でやるようになりました。永福町の女の子の家は広く、思い切って練習できましたが、西荻窪の$$君の家は木造家屋が密集したところにある当時のごく普通の家でしたので、今から思えばあんなところ(失礼!)でよくやったもんだと感心しきりです。$$君のおばあさんからはよく叱られてましたが・・・。

で、高二の春休み、満を持して、自由が丘(だったと思うが・・・)で行われた素人バンドのコンサートに参加しました。何を演奏したか、実はあんまり覚えていないのですけど、サンタナの「Black Magic Woman」をやったのははっきりと覚えてます。なんせ「Black Magic Woman」のリードギター、センセが担当したもんで・・・。

一般聴衆に混じって級友らも聴きに来てくれて、ナカナカ盛況のうちに閉幕しました。コンサート終了後、永福町の五日市街道沿いにあったステーキ屋で、みなでハンバーグを食べて別れたのを覚えてます。懐かしいです・・・。

で、春休みが終わればもう高三!W高校は典型的な進学校でしたので、高三ともなればバンドにうつつを抜かしているわけにはいきません。でも「ビートルズのようなロックバンドになる!」とか一度は決心したセンセでしたので、バンド解散には抵抗があった。でも、このメンバーをよくよく見れば、とてもじゃないが一流になれるわけがない!ことぐらいはセンセでもよく分かる。特に、センセを除き、ルックス的にダメダメ(ホントに失礼!!!)!あ、こりゃあかんな~、てな調子で、すぐにあきらめがついたのは、今から思えば誠に幸いなことではありました・・・。


当時のセンセのスタイル、相当派手だった。

ビートルズの本に載ってた有名な「革ジャンにジーンズ、革のブーツを履いてポーズをとる、ハンブルグのビルの屋上のジョンとポールとジョージの写真」にあこがれて、髪はギトギトにポマードを塗りたくったリーゼント!ズボンはEDWINのジーパンを自分でミシンでギチギチに細くしたスカマン(横須賀マンボ)スタイル。その後にデビューするキャロルそっくりでした。
特にポマードは昭和30年代のお父さんなんかが使ってた麝香の香りがものすごい「黒薔薇コンク」とか「柳家のポマード」とか「丹頂のヘアスチック」とかを使ってた。髪に櫛を入れると櫛の目がすぐ詰まるぐらいベッチョベチョにつけて満員電車の中を通学してたもんだから、今から思えば周りの乗客が可愛そうだ・・・。教室に入ると教室中に麝香の香りが充満するもんだから、担任の先生が来るとすぐに「中山!窓を開けろ!!!」とか言われたりした・・・。うう~ん、ま、青春の甘酸っぱい思い出だネ!


当時のセンセのご行状、これ以上のご開陳は、どうぞご勘弁くださいませ・・・。


昭和40年代:時代と音楽-36

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バンドをやる前の中学時代、ラジオの深夜放送なんてのが流行りました。特にハープ・アルファートとティファナブラスの「Bittersweet Samba」 でオープニングが始まる「オールナイトニッポン」は、当時の中学生の「夜のお友達」でした。
センセも中三まではよく聴き、「カメカメ、エブリボディ!」とかナンとか、懐かしいです。でも、音楽に目覚めた後は日本のラジオ放送なんぞは物足りなくなって、進駐軍向け放送の「FEN」を専ら聴くようになりました。これも普段から兄の部屋から流れていた影響だと思います。

因みにFEN、今ではAFNと改称されているようですが、「エフ・イー・エヌ」と呼びます。昔、FENを聴きもしないのに聴いてるふりをする連中が「フェン」とか知ったかぶりしてよく言ってましたが、それを言うと「聴いて無い」ことがすぐにばれたもので、センセも「ププッ!」と腹の中で笑ったものです、、、、、、ププッ!
FEN ってFar East Network の略で、極東に在駐している米軍向けの24時間のラジオ放送です。ニュースや天気予報、「業務連絡」やキャンペーン放送などを除き、内容の大部分が音楽番組で占められているので有名でした。要するに、米国で流行っている曲を真っ先に日本で聴くことができるのが、FENでした。

FENで流す曲は流行歌だけではありませんでした。クラシック番組もありましたし、カントリー専門、イージーリスニング番組、さらにはラテン専門の番組もありました。イージーリスニングはPete Smith の「Sketches in Sound」という番組で、ストリングスのオープニングが印象的な番組でした。今でもあの美しいオープニングの旋律が、耳に残っています。日本のFMラジオ番組、城達也の「ジェットストリーム」を思い出して頂ければOKです。
耳に残っているオープニングとしては、当時のニュースの前に必ず流れた「Blood Sweat & Tears」の「Spinning Wheel」の出だしです。そうです、あの「チャカチャカチャー、チャカチャー!」です!

けれどもFENと言えば、やはりポップやロック、ソウルの番組でしょう。特に当時有名だったのが、オオカミの遠吠えで始まる「Wolfman Jack Show」!1973年に封切りされたジョージ・ルーカス監督の映画、「American Graffiti」にも出演していましたね!
Wolfman Jack 以外には、American Top 40、Charlie Tuna、Don Tracy、Golden Days of Radio、Time Machine、Dick Clark のMusic Machine なんかを良く聴いてました。
当時、大晦日になると、その年の年間ヒットチャートを一日中流す番組があり、しかも1950年代からの通算を延々と流しておりました。オープニングは、ビル・ヘイリーの「Rock Around the Clock:暴力教室」でした。
で、12月31日になると、センセはラジオの前にたくさんのカセットテープを用意して、一日中録音してました。今でも当時録音したたくさんのテープを持ってますが、ラジオから流れる音をカセットテープで録音するという超原始的方式なので、音としては凄まじい・・・。毎年録音してましたが、今、押入の中のテープをざっとチェックしたところ、大体1980年代の半ばくらいで録音が終了してるようです。大体この頃から、センセの「洋楽はやり歌」に対する興味が少しずつ薄れ始めたようですね。

「洋楽はやり歌」に対する興味は以前のようには湧かなくなったセンセでしたが、こんどは英語の勉強のためにFEN は相変わらず熱心に聴き続けておりました。ニュースやOPINION、Paul Harvey のThe Rest of the Story、Mystery Theater なんかをテープに録音し、何度も聴いて勉強したものです。
また、ヒロコ・クボタさんのPhrase of the Day も懐かしい!「おはようございます=Good Morning」って、日本語も勉強しました www!「A Little Language Goes a Long Way!」という最後のフレーズ、今でも耳の奥に残ってます。