今月の書評-32

| | トラックバック(0)
続きです。

アク抜きを施せばドングリは食べられることが分かった縄文人は、
温暖化によって落葉広葉樹林が広がって
クヌギやナラのドングリが豊富に採れるようになった中部地方に定住した。
けれどもそこには一つ、問題があった。それは、
「海が無いので塩分が摂れない!」
ということであった。
一方で、関東に移住した連中は、縄文海進によって豊かな海の幸に恵まれた。
けれどもそこには一つ、問題があった。それは、
「漁具を作り出す道具が無い!」
ということであった。
そこで長野の連中は考えた。それは、
「和田峠で産出する黒曜石を関東の連中のところまで持っていき、
塩や魚、貝の干物と交換したらいいんじゃね?」
ということであった。
というカンジで、ここに両者 winwin の関係が出来上がった!


ここから先は簡単ですね!明確な物流システムが一旦出来上がれば、あとはそれを拡大していけばよいだけですから。
その後、糸魚川の河口域で取れるヒスイ、東北地方で取れるアスファルト、和田峠や神津島で取れる黒曜石、関東の魚介類、さらには沖縄や奄美大島産のコウヤガイ、北海道からもたらされる種々の産物などなど、日本全国を網の目のように結ぶネットワークが完成しました。このような経緯を経て、東日本が縄文中期の消費と物流の中心となったわけです!妄想だけど・・・。

ここで、あの有名な三内丸山遺跡が登場します。縄文前期から中期にかけて栄えました。今からおよそ5000 年くらい前です。
数百人規模で住んでいたと考えられている大規模な集落ですが、これを支えていたものが、クリですクリ!クリックリックリ!!!

クリ.jpg
庭木図鑑 植木ペディアよりhttps://www.uekipedia.jp/


鈴木三男氏のブログによれば、まさに三内丸山の縄文人は栗林の中で生活していたも同然だそうです。遺跡の土壌から得られた花粉の分析を行ったところ、縄文前期時代はミズナラやコナラなどのドングリを主に食べていたようですが、前期の後期(ややこしい!)から中期の全盛期には、見つかる花粉という花粉はクリばかり!およそ9 割もの花粉がクリのもので、ここから推定して「三内丸山の縄文人は栗林の中に住んでいた!」と結論づけています。

当然ながら、これらの栗林は人工林です。
また、接ぎ木の手法を用いて増やしていた可能性も指摘されています。
さらに、これらの栗林は1000 年以上も存在し続けたそうですから、何らかの形で肥料などを与えて懇(ねんごろ)に手入れをしていたと考えられます。
こうなりますと、もはや「農」と言っても過言ではない、と思いますが・・・。

農!と言える縄文!」、とか・・・。

食用としてだけでなく、建材としても用いられました。三内丸山と言えばあの有名な大型掘立柱建物がすぐに念頭に浮かびますが、あれは直径1 m にもなるクリの柱6 本をおったてて作ったものです。あれを中心にして盆踊りでも踊ったのでしょうかね?とにかくすごいものです。

三内丸山遺跡が縄文の最盛期を代表するものであることは、論を待たないところです。一説によれば、500 人くらいは住んでいたんじゃないの?とのことです。

三内丸山遺跡に限らず、縄文時代にはすでにヒョウタンやエゴマ、熱帯ジャポニカの稲、その他ヒエや大豆などが栽培されていたことが明らかとなっています。
関東や中部、東北の太平洋岸や北海道東岸などでは広大なクロボク土(火入れの跡。今月の書評-2)が見られますし、土器の作製のために燃料用の樹木の伐採なども行っていたでしょうから、縄文人は単純に自然と共存していたというよりも、自然に手を加え、ある程度の収奪を行っていた人たち、という見方もできるかと思います。




今月の書評-31

| | トラックバック(0)
さて、縄文時代の最大の謎、

その一:なんで圧倒的に東日本が栄えた?
その二:なんで衰退した?

について最後にひたすら妄想しまくって、そろそろ縄文から離れたいと思います。

● 縄文時代、なんで圧倒的に東日本が栄えた?
何も最初から東日本優位だったわけじゃないようです。

縄文時代というと関東平野の奥地まで海が入り込んだ「縄文海進(じょうもんかいしん)」などを思い浮かべてひたすら温かかったように思いがちですが、縄文草創期(およそ1万2000年くらい前)においてはまだまだ寒く、海水面も現在より20 m近くも低くて、植生も亜寒帯に生えるような針葉樹林が主体でした。気温の上昇につれて植生も温帯化し、落葉広葉樹林に置き換わっていくわけですが、その場合は必然的に南の方から暖かくなっていくはずです。日本列島の場合は南九州から、ということです。

で、その時代にはすでに北海道にはアイヌ人のご先祖さまたちが居ましたし、日本最古の縄文土器(1万6500年前)は青森県から出土しているので、「日本列島の縄文文化の発祥の地は何処なのか?」という問題に対する答えは未解決です(というより、言葉の定義の問題かもしれませんが・・・)。また、より新しい時代の縄文土器は、「今月の書評-14」でも書いたように、主として堅果類のアク抜き用に用いた可能性がありますが、草創期の青森や北海道ではまだまだアク抜き技術はなかったと思われますので、単純になんらかの食材の「煮炊き」用に用いられたと思われます。実際に、土器の内側からサケなどの魚を煮炊きした時に付着したと思われる脂肪酸が検出されています。

一方で、近年、南九州の1万2000年くらい前の地層から、多くの縄文遺跡が発掘されました。これらの遺跡からは、多くの土器や石器と共に、数千年後に東日本で出土するようになる土偶や耳飾りが多数出土しました。また、特徴的な点として、丸木舟を作る用途で用いられたと考えられる丸ノミ型石斧、堅果類調理用の石器用具、さらには多量の炭化したドングリまで出土しました。この丸ノミ型石斧は南九州のみならず、種子島や奄美大島、さらには沖縄本島からも出土しているので、これら南九州の草創期縄文人は南方から丸木舟に乗って北上し、沖縄を経て南九州に定着した可能性もありますが、朝鮮半島~中国大陸由来であると考えられる細石刃が多く出土していることから、朝鮮半島南部由来である可能性もあります。北九州からも縄文草創期の遺跡が発見されていますので、朝鮮から北九州、そして南九州からさらに南下した結果、島々に丸ノミ型石斧が残された可能性の方が高いと思います。加えて沖縄県の縄文遺跡からは南九州に先立つ時期の土偶が出土されないので、この点からも、南下説に軍配が挙がると思います(ちなみに、2017年に沖縄から縄文晩期の東北の亀ヶ岡式土偶が発掘されました。これは沖縄の縄文文化南下説を補強する発見です)。

出土したドングリは照葉樹に属するシイやカシのものではなく、落葉広葉樹のコナラのドングリですので、当時の南九州は現在よりも冷涼な落葉樹林帯に属していたことが分かります。彼らがドングリのアク抜き技術を持っていたかどうか、遺物からでは確実な所は分かりませんが、個人的には持っていたと考えています。

なぜか。

「だって渋くて食べられないじゃん!」

・・・当たり前の発想です・・・。


その後、縄文早期(およそ9000 年前)になるとさらに大規模な集落跡が南九州で発見されますが、これらの集落は「今月の書評-20」でご紹介した「喜界カルデラの大噴火」で壊滅してしまいます・・・。ナムナム・・・。

で、小田静夫氏の「遥かなる海上の道」(青春出版社)に興味深いことが書かれています。それは、喜界カルデラの大噴火後の縄文早期の終末期ごろ、関東~中部にかけて東海系の縄文土器が多く搬入されると同時に、伊豆諸島では関西系の土器が多数発見される、とのことです。

ここから導けるストーリーは、以下のようなものです。


南九州は壊滅したが、辺縁の縄文人はかろうじて生き残った。
地元では生きていけないので、一部は朝鮮半島に、
一部は関西から関東~中部地方に移住した。
同時に日本列島の気候がどんどん温暖化していった。
温暖化しすぎて、西南日本では照葉樹林帯になってしまった。
照葉樹林帯のシイやカシのドングリでは腹いっぱい食べられない。
中部以北の落葉樹地域ではたくさんのドングリが実っている!
加えてクリやクルミのようなアク抜きしなくても良いものが採れる!
関東では「縄文海進」が進んで魚介類が豊富に採れる!
で、もともとそこに住んでいた縄文人らと大いに交わった。
同時に、
南九州から伝わったドングリのアク抜き技法や土偶、
耳飾りなども教えてあげた。


その後の展開は次号で!


今月の書評-30

| | トラックバック(0)
みなさまこんにちは!研究所も今日から夏休みです! ルンルン♪ ♪ ♪ 
しかも本日は涼しい!この調子で一週間もってくれれば良いのですが・・・。

で、先日NHKのニュースでやってましたが、鳥取の弥生時代の遺跡から出土した40体の人骨を用いてDNA 分析を行うとのこと!
実は弥生時代の人骨って、縄文人に比べて出土率が低いらしいです。ましてやDNA 分析できるほどに状態の良いものはほとんどないとのことですので、大いに期待できます。

また、鳥取ですから、古代の出雲とも深く関連しているのではないでしょうか?

知ってるヒトは知ってるでしょうが、出雲地方って、東北地方と何らかの関連があると考えられている場所なのですよね!
両者とも言葉にズーズー弁が残っているし、斎藤成也氏の「核DNAでたどる日本人の源流」によれば、現代の出雲の人々の核DNA パターンと東北地方の人々のそれとはよく似ているとのことです。出雲地方はむしろ朝鮮半島に近いわけですし、歴史的にも何かと大陸との関係が指摘されていますので、DNA も朝鮮の人々により近いだろうと考えがちですが、ナカナカどっこいそうはいかない!
また、この先、今月の書評シリーズでは日本語の起源にも触れていく予定ですが、その際、「日本人とは?」を考えていく上で、DNA パターンとズーズー弁という言葉の特徴とがセットになっているという事実は誠に重要な点なのです!

斎藤氏の分析はあくまで現代人を用いたものですから弥生時代以降のノイズがたくさん混入しているわけですが、今回、直接的に弥生人骨を用いた分析結果が出れば、これは日本人形成における重要な転回の時代を直接的に反映することとなりますので、今からすんごくワクワクしています!
単に縄文系のDNA の有無だけじゃなく、朝鮮半島や長江文明、あるいは遼河文明や黄河文明を作り出した人々の影響すら検知できれば、ことによると、教科書を大きく塗り替える結果となるかもしれません。

さらに言えば、出雲って、ヤマタノオロチやスサノオノミコト、さらにはオオクニヌシノミコトなどの神話の宝庫ですので、ことによると、これらの神話を何らかの形で裏付けるような、そんな結果すら期待してしまいます。



今月の書評-29

| | トラックバック(0)
みなさまこんにちは!今日も大変お暑うございます・・・。

いやちょっとホント、半端じゃないですよね?この暑さ!どうしてます?
子供の頃、いや結構ついこの前まで、夏が来るのが待ち遠しくって、押し入れの中に潜り込んでキャンプ用品だのスクーバ用品だの釣り道具だのを引っ張り出してルンルン♪♪♪  しながら磨いていたりしたものですが、今では押し入れの中で眠りっぱなし・・・。引っ張り出す気力もありませぬ・・・。
こんな時はバイクで風を切るのが最高っ!と思いますが、炎天下でフルフェイスのヘルメットを被ることを考えると、やはりこれも二の足を踏んでしまいます・・・。
ゴルフの練習に行くときはクーラーボックスに保冷剤を入れて濡れたタオルを突っ込んで出かけますが、真昼の練習場はセンセが借り切り状態・・・。受付のヒトに「倒れたら救急車を呼んでくれ!」と言ってから練習してます・・・。
せめて30℃くらいであれば快適な夏と言えますが、何しろ35~38℃が当たり前になりつつある日本列島の夏ですので、今後どうなっちゃうの?
それでも長野は東京などに比べると朝晩は幾分過ごしやすいですし、湿度も比較的低いのですが、先週末、乳酸菌学会で東京に行ってきました。で、思った。

「ヒトの住むところじゃねえ~~~っ!」

やはり、クーラーの効いた部屋で大人しくブログを書いてるのが一番ですね!



で、先日NHKのホモサピエンスシリーズが終了しました。
期待して見ていたのですけど、期待にたがわず、期待を大きく外してくれた内容でした ×××。

旧石器時代人はどうやって日本列島に到達したのか、というのがテーマでしたが、南から海を伝うルートと地続きの北方経路との両方から来た、というのはOK です。OK なんですけど、北方経路の人たち、みんな朝青龍みたいな顔してた・・・。

NHK 北方系.jpg
NHK の番組HPより。


寒冷適応した北方アジア人が北海道に到達するのは、もっとずっと後になってからのことジャン!アイヌ人の最大のユニークさの一つが、南方系の形質をそのまま残しながら樺太経由で北海道に到達したことジャン!



で、南からの経路・・・。

台湾から与那国島へどうやって渡ったか、というのを「実験考古学」的に立証するわけですが、すでに「今月の書評-9」でも指摘したように、草船という発想って、どっから出てきた???
たぶんコンチキ号の成功から思いついたのだと思いますが(ググってね!)、コンチキ号だって単純な草船ではありませぬ。草だけじゃなく、バルサや松材などを組み合わせて巧妙に作られた船で、マストも帆も装備してます。
コンチキ号はインカ帝国時代のスペイン人の絵を基にして設計されたものですので、時代は旧石器時代よりもよっぽど新しく、ペルーの海岸からイースター島までの長距離を目指したものですから、少なくともこの程度の装備は当然だったでしょう。
一方の台湾旧石器時代人ですが、与那国島の存在は目視で確認できたでしょう。あとは眼前を流れる黒潮を如何にして乗り切るか、ということですが、その答えが草船・・・・。

NHK 草船.jpg
れきまと!!!さんより。http://matome-antena.info/rekisi-matome/?p=50


自分が旧石器時代人になったと想像して考えても、その発想って、むしろ難しいんじゃないかと思う・・・。さっさと丸木舟を作るほうが自然だと思う・・・。
たくさんの草を刈って編む作業の困難さって、半端じゃないと思う・・・。たくさんの草刈ってそれを編んで船にする発想って、相当におへそが曲がっていないと出てこない発想だと思う・・・。かてて加えて、そこまで大変な努力をして作った草船ですが、さっさと朽ち果ててしまうディスポーザブルな代物だと思う・・・。
で、お次に竹船ですが、竹を何らかの補助的な具材として用いるのは自然な発想だと思いますが、これをメインの材とするその発想はどこから来る???
航海中の飲み水を入れる容器としての竹、というのは大いにアリだと思いますし、竹を筏(いかだ)に組んで湖沼を渡るのは自然な発想ですが、強い海流を乗り切るために竹を組んで「へさき」を作って波頭を破るという発想は、これまた不自然極まりないと思います。

で、なんで最初から丸木舟を作らないのか?ということですが、当時の台湾における「石斧(いしおの、せきふ)」の存在が確実に立証されていないことがネックになったんじゃないのかなあ~。何しろ「実験考古学」ですから、結果を発表して「実験考古学学会」の重鎮連からいちゃもんをつけられるのが怖かったんじゃないのかなあ~。分かる気がするなあ~。
で、番組の最後の方でとってつけたようにオーストラリアで出土した旧石器時代の石斧を紹介してましたが、世界最古の石斧って、実は日本で出土してるんですよね!長野で。時代が4~3 万年前というのだから、これを根拠にして最初から丸木舟を作製しても良かったんじゃないの?
で、単純な丸木舟じゃなくって、当然アウトリガータイプのやつ。アウトリガータイプの丸木舟の証拠が出土してなくても、構わないじゃん!だって、アウトリガーの発想もまた、センセに言わせれば、至極自然なものだと思うもん。

と、ごちゃごちゃ文句を並べてきましたが、最後にこれだけは許せないっ!ってヤツをあげつらって、今回はおしまいといたします。

それは、船に乗り込む人々を男女半々ずつ10 名に揃えるのは良いと思いますし、ま、葉っぱの「腰蓑(こしみの)」もポリネシアなどで実際に見られますからOK だと思いますが、葉っぱでブラジャーはないだろう!葉っぱのブラジャーって、擦れて痛かろう!!!

当時、海を渡った旧石器時代の女性陣は、ブラジャー、してなかったと思います。NHKなんですから、もっとリアリティーに富んだ映像を作って頂きたいと思います。少なくともあの映像を見ていた日本人のおよそ50%くらいは、センセの意見に激しく同意すると思います。

ではっ!